ドル円FX敗残兵の戦後

ドル円で借金を作った人のその後の人生を追います

意見の聴取

ついに意見の調書の日が来た。

なんとか有給休暇をぶち込み、集合は9時に警視庁であったが、30分ほど早く到着できるよう家を出た。


おさらいすると、私は東京都内で50km/hを超える速度超過で12点、一年以内の右折禁止、信号無視で各2点、累計16点で免許取消の基準に達したことで意見の聴取をおこなうことになった。

詳しい話は以前の記事を読んで欲しい。


昨晩はなかなか寝付けず、用意した弁明書の内容を確認したり、資料に付与した動画を見直すなどして1時をすぎたくらいに寝たと思う。

それでも早めに起きてしまったのは緊張していたからだろうか。


これで私の今後が大きく決まるのである。

普段着ないワイシャツに袖を通し、出来るだけ真面目に見える装いをした。

髪は短く切りたかったが仕事が立て込んでおり、間に合わなかった。


さて、警視庁に到着すると、集合場所付近にすでに4名ほど並んでいた。

1人は私と同じくらいの男性、あとはおじいちゃんとその付き添いの方であった。

不安な面持ちで桜田門駅を降りた私にとって彼らは強い味方であった。

特に若い人とは何度か目が合い、言葉は交わさずとも仲間意識のようなものが生まれたと感じた。


どうやら中に入るまでもう少し時間がかかりそうであったが、起立したまま列に並ぶ。

その前を霞ヶ関のビジネスマンたちが歩いている。

まるで中学の時、悪戯に巻き込まれる形で受けた朝の通学路清掃の時のような居心地の悪さを感じた。


15分前になると人も増え、15人くらいになっていた。おじいちゃんや土木関係のようなお兄さん、スーツを着て弁護士のような人をつれているような方、外国の方など様々だ。

10分前くらいになると準備ができたとのことで中に通される。


中に入ると、少し入ったところ左手に集められ、館内の説明を受ける。

免許書と送付された通知書を準備し、合わせて弁明書も手元に出しておいた。


一通り注意事項を聞くと1人ずつ身分を確認されて中に通される。

しばらく進むと受付で免許書と通知書を渡すよう言われた。

合わせて何か提出するものはないかと聞かれた。

前を行ったおじいちゃんや先程の若者は特に何もないようであった。

ただ振り向きざま若者が私の手に持つ封筒を気にかけているようであった。

ここで弁明書をよろしくお願いしますの一声とともに提出した。

丁寧に受け取ってもらい、聴聞官に渡す旨を説明された。

以前の検事に対し対照的な態度で少し嬉しかった。


そのまま聴聞室に通される。

向かいに聴聞官の座る大きな机と椅子がある。

右手におそらく補佐人が座る椅子と机、真ん中にちょこんと我々が座るであろう椅子と机が置いてあり、その後ろに待機する椅子が病院の待合室のように設置されている。

壁には違反による点数と処分、聴聞時の注意事項が書かれたパネルが設置されていた。


ここでも特にスマホなどはいじらずじっと待つ。10分くらいであろうか、しばらくすると20人弱が入り、補佐人の警察の方が聴聞時の進行や注意事項を説明された。


この間に提出した弁明書などが読まれているらしい。

私の反省や今後の態度は伝わったであろうか、

自分の聴聞時にはどう話そうかなどを考えていた。

最初の集合時間から30分ほどして聴聞官の方が入室された。

一同起立して礼をする。

先程の若者はよろしくお願いしますと一声を出していた。


聴聞官の方から一連の説明があったあと聴聞が始まる。

番号と名前を呼ばれ、ちょこんと佇む椅子に着席し名前をいう。まずはおじいちゃんだ。

この方は酒気帯び運転であった。

私の前は酒気帯び運転の方で5名ほどが呼ばれたが、聴聞官の何かありますか?の質問には皆ありませんと答えていた。

私の番がくる。

心臓がドクンと大きく早くなる。

なんとか声を絞り出し名前を言う。かなり緊張していたと思うが聴聞官の目をしっかり見る。

今までの違反が読み上げられる。

間違いありませんかとの問いに、間違いありませんと答える。

ここで今までと異なることが起きる。

聴聞官から、先程提出された弁明書を読ませていただきました。大変深く反省している気持ちが伝わりました。何か他に言いたいことはありませんか?と聞かれたのである。

読んでいただいたことが嬉しく、ありがとうございますとお礼を言ったあと、お願いしますと続けた。

違反により多くの人に迷惑をかけたことの謝罪、聴聞会を開いてくれたことへの感謝を述べたうえで、これまでの違反が自分の焦りや道路交通法、安全運転への理解が不足していたことが原因と考えていること、それに対してさまざまな書籍や動画を見てきたこと、これにより被害者の声を聞く機会が多く、自分がそういった被害者を産む前に取り締まりによって一度反省する機会をいただいたことへの感謝を伝えた。

またそれを友人や同僚にも波及させてきたこと、これからも継続し、かつ安全運転を行うことを誓った。

最後に、職務で運転する機会があるため寛大な処置のお願いと、再度被害者を産む前にこのような機会をいただいたことに感謝していると伝えた。

2,3分であったと思う。

声もかなり震えていたし、泣きそうになっていた。これは反省と情けなさと不安からくるものだったと思う。

聴聞官はうんうんと聞いてくれ、以上ですという私の声の後に大変よくわかりました。

これからも継続して安全運転と活動を行ってくださいと伝えられた。


ありがとうございますといって席を立ち、元いた場所に戻る。


そのあとはあの若者であった。

前歴があり、速度超過をしたため呼ばれたようである。

弁明書などはなかったものの、反省や親が免許を取らせてくれた気持ちなどを述べていた。

ちょっと私に感化されたのか、友人にも速度には気をつけるよう言っていると伝えていた。


そのあとにも違反と事故を起こし相手を負傷させてしまった方、免停中に運転した方、飲酒運転により高速を逆走し事故を起こした方などが続いた。

2,3人に1人は何か弁明したり、反省文などを提出していたようである。

5枚出していた方は、聴聞官に要点はなんですかと聞かれていた。

弁護士と来ている方もいた。お医者様のようであった。弁明書や嘆願書などフル装備で挑んだようであったが、聴聞官の質問には的を得ている回答ではないように思えた。

この方が最も長かったと思う。

聴聞官は事故を起こした方は被害者の状態などを聞かれたり、複数の違反をした人にはその理由などを聞いていた。

一通り全員が終わると一度解散となった。


1時間半後くらいに再集合とのことで、喫茶店でこのブログを書いている。


この後どうなるのか、非常に緊張しており頼んだコーヒーは喉を通らない。


やるべきことはやったし伝えたいこともうまく伝えられた。

減刑されるかが問題であるが、こればかりはわからない。


そろそろ時間なので行ってきます。


お盆休み

お盆休みだ。

だからといって休んでいられない。


学生時代の友達や会社の同期にツーリングや旅行にいこうと声をかけてもらったが、ここで数万円の出費は厳しい。

丁重に断り次回の長期連休などに行くことを提案した。


休みに入る前は妹が誕生日だったのでお祝いのレストランに招待した。

といっても

リクエストが焼き鳥屋さんだったので、そこまでの出費にはならなかった。

いろいろ店を探して1人1.5万円くらいのところを予約した。

普段は別々に暮らしているが、月に一回程度ご飯や遊びに行くのが我々兄妹の距離感だ。

仲のいい友達のような関係はいい関係と言えるだろう。


誕生日は少しいいレストランに行くのが最近のトレンドであった。

今回の焼き鳥屋さんも雰囲気がよく料理も美味しかった。

妹も喜んでくれてよかった。

こうやって兄妹で話していると昔に戻ったようで、現実から目を背けられたのがよかった。

これも美味しいあれも美味しいと笑顔になる妹を見ると癒されるものである。


当然だが借金などのことは言えるはずもなく、ただそれも自然と忘れるような楽しいひとときであった。


週末からはとにかくバイトに勤しんだ。

中々に忙しく、それだけに楽しかった。

お盆であるからか、お客さんから暑くて大変だろうと冷たい飲み物やお駄賃をいただいた。

これは嬉しい限りである。

配達中は運転する以外にやることがなく、つい要らぬことを考えてしまうことがある。

特にちょっとしたミスをした時などはかなり気分が落ち込む。

また、家族などに届ける時は、自分がこんな幸せな家庭を築くことなく死ぬ可能性がすぐここまできていることになんとも言えない気持ちを味わうことがある。いつもではない。

そんな時お客さんからの応援は私に温かい気持ちを思い出させてくれる。

私も配達員に何かお願いすることがあったら缶コーヒーくらい用意しようと思った。


その他、少しずつ私をいじってくれる人が増えてきた。

本職ではおちゃらけキャラというかイジられキャラというか、そういう類にカテゴライズされているため、必要以上にコミュニケーションをしないバイト先は居心地はいいものの一抹の寂しさも感じていた。

それでもすでにバイトを始めてから4ヶ月も経っているのだから人となりは概ね分かってくるのだろう。

ちょっとした時の一言のコミュニケーションも私を元気付けてくれた。


ただこれも週明けの行政処分次第である。

減刑で180日免停の場合は配達でない中の仕事を手伝うことになっている。

免取りになった場合の判断は店長と話して先延ばしにすることにした。

本当は決めておくべきなのであろうが、その勇気は私にはなかった。

おそらく命を経つことになるであろうから、辞めるということになるのだろうか。


それでも帰宅後は故障したバイクを治すなどこれからも日常を過ごすように生活してしまうのは人の性なのであろうか。


週末もバイトをし、月曜から数日働いたらいよいよ処分である。

減刑のための取り組みも大詰めである。

行政処分の通知書

前回更新からだいぶ日が経ってしまった。

仕事にバイトにとこなしているとあっという間に日々が過ぎる。

最後に録画したテレビをみたのはいつだろうか。


さて違反から約3ヶ月経った。

ついに行政処分の手紙が郵便受けに入った。


茶色い封筒の中には、結婚式のそれと同じように、意見の聴取というイベントに参加するかどうかを問うハガキとこれまでの違反歴をまとめた紙、注意事項をまとめた紙のセットが入っていた。


ど平日に行われるこのイベントは、しかし減刑される可能性がある最後のチャンスである。

人生がかかっているためここは参加にビシッと丸をつけポストに投函した。


これまでの違反は、5月の違反で合計14点、昨年5月の違反が2点の合計16点であった。

去年の違反はすっかり忘れていた。。

今後は違反をしたら一年後のカレンダーに書いておくなど対策をしたい。


違反が15点以上で免取りのため、すべりこみアウトである。

様々なネット記事を見ると都内の違反は飲酒運転やひき逃げでなければ減刑される可能性があるらしい。

ただこれも2010年までの記事が多く、取り締まりがより厳しくなった昨今の情報はなかなか出てこない。

2010年頃というと、まだスマートフォンの登場が出始めたくらいで、ブログを始めとするネットの情報はパソコンでしか知り得なかった。

それがスマートフォンの登場で格段に情報を手に入れやすくなったわけであるから、この10年多くの人が参考に対策をしてきたであろう。

そう考えると減刑は難しいかもしれない。


とにかくやれることはやってみよう。

それでダメなら悔いはないし潔く命を経とうと思う。


借金は少しずつであるが、確実に減らせている。

彼女以外の遊びは、バイクが不調であること(これはホント)や結婚にむけ忙しいなどを言い訳にかなり断っている。

それでも全く遊ばないのは可哀想なのでたまにご飯だけいくなど、返済と人付き合いは両立できているように思える。

ただ現実で相談などが出来ないのがたまに辛い。


一つだけいいことがあった。

ずっと空きが出ていたマンションに入居者が決まった。

これで月8万円を返済に回せるようになり、より早く完済できそうである。

愛バイクとのお別れ2

以前6台所有していたバイク。

そのうち既に2台を友人に譲った。


そして追加でもう2台を手放した。

1台は先輩から譲ってもらった大型のツアラー、もう1台は社会人になってしばらくした後初めて新車で買ったバイクだ。

どちらもかなり思い入れがあった。


ツアラーの方は車検が切れていたのをユーザー車検で通す時何箇所か指摘され、その場で持ってる工具や材料を使いなんとか通した後は気の遠くなるような長距離ツーリングを一緒に楽しんだバイクだ。

はじめてのリッターバイクで、鬼のような加速や高速での高い安定性に驚きつつ、ワインディングではひらひら走れるバイクだった。

関西や東北を回るツーリングは永遠に思えて、終わってしまえば案外あっさり走れてしまったなと毎回思った。

クラッチホースが破けてギアチェンジが難しくなったのをなかなか原因がわからず悶々としたこと、ライトがつかなくなってカウルをなんとか外して修理したのもいい思い出だ。


新車で購入したバイクはこれまで所有したバイクの中で一番日が浅いものの、キャンプツーリングや夜の街ツーリングなどでよく走ったバイクだ。

購入してすぐに駐車中倒れてしまい、傷ついたマフラーをまる2日泣きながら研磨して元に戻したり、帰宅後すぐにかけたバイクカバーがエキパイにひっついてしまい、こちらも泣きながら削って綺麗にしたりと新車ながら中々手のかかる子だった。


どちらも知人やその知り合いに引き取られた。

こまめに洗車などもしてたため比較的綺麗で、買ってくれた人も満足しているようでよかった。

ほんとはもっと走りたかった。

廃車になるまでどこまでも走ろうと思ってたがもう置く場所もなければ維持するお金もないので仕方ない。

全てではないものの、多くを失うことを見にしみて感じている。

おそらくもう二度ギャンブルはしないだろう。

為替をやるとしても現物やロスカットラインをちゃんと引いてやろう。

いまはまだ市場に参加するほどの時間が取れないのでしばらくはお休みだ


貧乏暇なしとはよく言ったものである。



友達の結婚式

先日友人の結婚式に誘って頂いたので行って来た。

正直このタイミングでご祝儀や二次会参加費は非常に痛いけど、すごく嬉しいことだったので参加した。


久々に会う友人たちもおり、思い思いの20代後半を過ごしているようであった。

すでに結婚している友人や同棲を始めた友人もおり、様々な惚気を聞くことができた。


新郎新婦は忙しそうではあったが充実しているようでこちらも幸せな気持ちになった。

また優しい友人らしさが出ている式でもあった。


私もガラにもなくこんな結婚式にしたら楽しいだろうなと想像してしまった。


そんなことを彼女にも話したら少し結婚式の話で盛り上がった。

まだ同棲も婚約もしてないのに少し浮かれ気味であった。


最近旧友や同期も結婚し始めており、これがラッシュかと思わされる。


そんな久々に幸せな気持ちにしてもらい、惚気ていたら最悪免取りでもなんとかなるんじゃないかと思い始めた。

免取りですぐ解雇となれば話は別であるが真摯に対応すれば降格などで許してくれるかもしれない。


これは恐ろしいことである。


赤キップ、刑事処分、行政処分を段階的に分けることでダメージを減らし、突発的な自殺を抑止しながら確実に罰金や講習代を徴収するということなのだろうか。


生殺しで搾取するのが最も効率的であることを搾取する側はよく理解しているのだろう。


だとしてもわたしには何も変える力は無いのである。



返済状況

私の人生を大きく変えたあの日から3ヶ月が経った。


私の生活は大きく変わり、気楽なアパート生活から実家に戻り学生の時のように暮らしている。

かなり長い間一人暮らしをしていたが、こうして実家で暮らしていると一人暮らしをしていた時間が夢だったのではないかという錯覚に陥る。


せっかく実家に戻ってきたので、以前の服や子供の時のおもちゃ、溜め込んだ本などの整理をしつつ、もうやらないであろうバイクレースのグッズなども処分し、身軽になりかけである。


たくさん持っていたバイクも通勤に使う1台だけとなった。

かなり寂しいものであるが、バイトもあるため以前のままなら整備が追いつかなかったであろう。

そもそも走るためのお金もないのである。


休日はバイトに勤しむようになった。

体力的には疲れるが、普段の仕事は屋内のため、屋外をバイクで走り回りお客さんの笑顔を見るのは悪くないものである。


それでも、ふとした時自分は何をしているんだろうと思うことがある。


結婚などを考えていて人生の中ではかなり重要な1年だったのではないだろうか。


それをあっさり壊してしまったのである。


それでも家族や彼女、友人らは優しく、私が大損したことを知ってる友人はお金のかかる遊びには誘わずリーズナブルな遊びに誘ってくれるし、彼女は気軽に家に来ていいよと言ってくれる。

家族は言わずもがなで様々なサポートをしてくれている。

金の切れ目が縁の切れ目というが、私の場合は周りに恵まれていたなと思う。


借金のほうは、最終的に480万程度に膨れ上がったが、バイクを売ったりボーナスや給料、バイト代を注ぎ込み290万程度まで返せている。

毎月20万を返してもここから15ヶ月かかる。

利息があるものの、この間2回のボーナスがあるであろうからもう少し早く返せるだろうか。


ただこれも5月の連休でしてしまった違反により免取りにならなければの話である。


免取りになれば会社は解雇になるであろう。

バイトも続けられなくなる。


そうなればもう新しく一から、、、と言うよりもマイナスから這い上がる気力はない。


そもそも3月に捨てた命である。

少し生きながらえたのを幸運と思おう。


ドル円は一時137円に迫った。

あれから大した押し目もなくこの短時間でさらに17円あげたのは恐るべきものである。

本格的にこの国は終わりに向かっているのだろう。

共に戦っていたドル円戦士たちはどうしているだろうか。

私のようになっていないことを祈るばかりである。


残り約300万、とりあえず今はコツコツ返していこう。


ちなみに行政処分の書類はまだこない。

刑事処分2

ピンクの紙に書かれた出頭の日はあいにく仕事が立て込んでいたため、電話をした。


自動受付に繋がったため、ガイダンスに従ったところ、別の番号を案内されたためそちらにかけ直す。


いかにもベテラン警察官というような声色の方が出られた。

翌週であれば都合がいいことを伝えると、その日に来てくれと言われた。


周りに迷惑をかけなくてよく一安心である。


出頭は翌週となった。

それでも少し忙しかったため、半休にし朝一で向かうことにした。


免停や免取りの記事をしらべるとスーツで行き、反省文を持っていくと処分が軽くなることがあるとあったため、それぞれ用意して向かった。

反省文は正直に違反内容を書き、今後どうしていくかなどを添えた。

機会があれば載せようと思う。


交通執行課に向かう前にお金をおろす。

速度違反は最大10万円の罰金であるためこれを借金して用意する。


現地に着くとすでに3名ほどが受付にならんでいた。

天気が良く暑い日であったが空調は一切ついていないようで暑かった。


8:25くらいになると少し早いが受付が開き、それぞれピンクの紙を見せて案内を受ける。


仲間がいたような気がして少し安心した。


受付をすると番号を渡される。

待合所のようなところに案内され、そこにある画面に映る数字の横に自分の番号が表示されたら数字のブースに向かえと言われる。


しばらくすると1番から3番までがモニターに映され、一様に重い足取りでブースに向かっていった。

こちらでーすと遠い声が聞こえる。


部屋は区切られていたため、ブースの扉が閉まると待合所はまた静寂に戻る。


そこから10分程度待つと自分の番号がついた。

最初は警察官と違反内容を確認するらしい。


私の担当はこれまたいかにも警察官というイケおじさん。

強面だがニコニコ笑顔で私を待っていた。


席に着くと身分を確認され、その後違反内容についてもう一度繰り返される。


穏やかな口調で確認される。


特に引っ掛かるところもなかったため全て肯定した。


最後に素直に反省しているってことでいいかな?と聞かれた。

反省している。誰かを轢いてしまう前にこのような形で取り締まってもらえて良かった。

プライベートで色々あり、ここ最近は常に焦っておりまわりが見えていなかった。

もう一度法規を確認し、安全運転の重要性を勉強すると答えた。

できるだけ丁寧に、反省を込めて伝えたつもりだった。


本心だった。


ただこれが警察官のスイッチを押したようで、なぜ速度が出たことに気づかなかったのか、白バイ隊員だったからわかるが音や振動でわかるのではないか、風でも気がつけたのでは無いか、すこしもメーターを見なかったのか、などなど矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

それぞれ答えても、いやでもこうじゃないか、おかしい、普段から飛ばしているのでは無いかなどとまるで会話にならない。

会話のトーンもかわり、まるで取り調べだ。


そこで何となくわかった。


私がどういう理由で違反したかは問題では無いのだ。反省しているかも関係ない。


警察官の中では私は常に爆走をして周りを危険に晒す悪者なのだ。そんな奴が今回たまたま捕まっただけなのだ。

捕まっただけ、というよりは、我々警察が捕まえ街の平和を守ったのだ。

これから悪者に正義の鉄槌を下すのである。

そこに反省やそれぞれがもつ諸事情は邪魔なのである。

悪者は最後の最後まで悪者でいてほしい。

そんな印象を受けた。


なんだか悲しくなった。


それでも、今考えると言われる通りである。反省していると答え続けた。


少しボルテージが下がったところで、聞き取りの内容を調書に加えられる。


素直に認め犯罪している。と。


それをじっと待つ。


隣のブースから飲酒運転をしたような内容の会話が聞こえてくる。

一杯でも飲酒運転になると叱られているようである。


加筆した内容を印刷し再度確認される。

割印などを押して一先ず終わりである。


死にたいなぁという気持ちが沸々湧いてくる。


次は検察である。自ら送検されるのである。

少し滑稽である。


こちらは先ほどより少し明るい部屋だった。

ここでもお手本のような、子綺麗で少し上から話してくる検事が私を向かえた。

同じく違反内容について確認される。

相違ないことを伝えるとこちらでも押印する。


じゃあこのあと裁判になるからまた待っててと言われた。

ここで、私は反省文はいつ提出するのかと聞いた。

そう、この時まで行政処分も同時になされると勘違いしていたのである。


検事はめんどくさそうに、それは何ですか?と聞いてくる。

私はここで出すものだと思い込んでいたため、違反に至った経緯と反省をまとめてきたのですが、、、と言う。

検事はこれまためんどくさそうに、じゃぁ少し見せてもらうといい私から反省文の入った封筒を引き取った。


全身でめんどくさいと伝えるような体勢で斜め読みしていく。

数十秒くらいでだるそうにこちらに向き直し、まぁ言いたいことはわかるけどようは処分を軽くしろってこと?できるわけないじゃんと一蹴。

立て続けに、我々や警察官が同じようなことしたらクビだよ、だから法規を守っている。

それに例外を入れたら処分が不平等になるではないか。

というような内容が言葉を変え表現を変えしばらく続いた。

おそらく違反内容の確認より長い時間ネチネチと続いた。

これは先程の警察官よりも私には応えた。


そもそもがもう落ち込んでいる状態であったところに先程の警察官である。

ここに検事が加わったことにより、希死念慮は一層強くなる。

そこに凶器があればおそらく自分を刺していたと思う。


ようやく一息ついたところで、私に言われても困る。まぁ返しておくよと少しくしゃくしゃになった反省文を突き返される。


なんとか、はい。失礼しますと絞り出し部屋を後にした。


今書いていても少しキュウと辛くなる。


この後は罰金を言い渡されるわけであるが、もうそのまま死んじゃおと執行課の建物を出て少し歩き始めたところで会社のケータイが鳴った。


どうやら私が休みで困っており午後イチでいいから出社次第来いというのである。


このタイミングは何なのだろう。

今死のうと決めた人間に、こんなにもタイミング良く一方的に約束が取り付けられるのだろうか。


ここで私は少しでも早く出社しなければというスイッチに切り替わった。


今来た道を戻る事にした。

死ぬのは役目を終えてからでもいい。


待合室に戻るとすでに私の番号が表示されており、罰金を言い渡される窓口に行くと9万円を言い渡された。


これを支払い免許証を返してもらってから再度執行課を後にした。


この時点では免許証には特に何も書かれなかった。


出社中の電車の中で反省文について調べると、今回の刑事処分ではなく、この後の行政処分で出すものであったことに気づき、検事の反応が理解できた。


この日の仕事は何だか必要とされることが多く、変える頃には死ぬと言うより明日の仕事をどうしていくかでいっぱいであった。


違反から1ヶ月半が過ぎたが、未だ行政処分の案内は来ない。


毎日毎日郵便受けを見るのが憂鬱である。