ドル円FX敗残兵の戦後

ドル円で借金を作った人のその後の人生を追います

刑事処分までの色々1

速度超過したのは5月頭だった。

おそらく連休中の取り締まりで、ワクワク浮かれ人達を一喝することが目的の一つなのだろうが(完全に勝手な憶測です)、あろうことか仕事へ向かうため急いでいた私が見事サイン会場へ誘われたのである。


当時は相当失意していたためか、状況が整理できていなかった。

冷静になった今、参考として遺す。


まず旗で会場へ誘われた後、探知機から出てきた紙を見せられる。

そこには日時と速度が記入されており、それに間違いがないか確認される。

話しながら特別シートであるパイプ椅子に案内され、そこで待つ女性警官と対面に座る。

これから行われるのはどんなお店でも受けることができない過激で一方的なSMプレーなのである。


免許証の提示を促され、氏名や住所に間違いがないか確認された後、簡単な取調べをうける。

制限速度は知っていたか。

なんのために速度違反をしたのか。

素直にみとめるのか。

反省しているのか。 などなど聞かれるので答えていく。

速度違反については急いでいたこと、さらには借金がありバイトを始め、連続勤務していたことから寝坊してしまい違反に至ったことなどを正直に話した。


途中泣きそうになりながら話した。


右側で話を聞いていた若い警官は親身に聞いてくれていたが、向かいに座っている女性警官は淡々としたものである。私にはまだ早いプレイ内容であった。


罰金も借金する必要があり、また免取りになれば職も失う。

もう死ぬしかないかもしれないと話すと、なんとかなると言うのである。

なんとかなるのであろうか、なんとかしてほしい。いや、自分に全ての責任があるのだから自分で尻を拭うしかないのである。


30分ほど呑気な日和の下で取調べを受けて、最後に免許証を没収された。

代わりにピンク色の可愛い紙を渡され、これが免許証の代わりになるから持っておけと言われた。

名刺にしてはあまりにもペラペラな紙であるがその中身はズッシリ重い。人の命が落とされるかも知れないほど。


ただまだしばらく運転はできるようである。

一安心。


そして、3週間後の指定された日に出頭しろといわれた。


体調が悪ければ電話して日を改めることも可能であるので無理しないでと言ってもらった。

やさしい。

願わくばこの日までに命を落としたいものであると思った。


かくして私は特設会場から開放されたのである。


自転車の少年が私と私のバイク、警官と白バイを交互に見ていたのが印象的であった。

少年の目にはどのように写っていたのであろうか。


制限速度すら出す気になれない気分の中バイト先へ向かった。


バイト先は始業前に免許チェックがあるが、ここで先程女性警官から手渡されたペラペラでピンクの可愛くも非常にアグレッシブな紙を見せるのである。

店長も軽くパニックになっていたため、この紙がしばらく免許証の代わりになり、今日も運転はできることを伝えた。

期間は1ヶ月とすこしの余裕があった。


ちなみにであるが、バイト先で意外にも私が赤キップを切られたことを知る人はおらず、無駄に吹聴しないいい職場であると感じたと共に大変申し訳ない気持ちになったのは少し経ってのことである。


そして指定された日、交通執行課に赴くのである。

死刑場に向かう足取りで、、、