ドル円FX敗残兵の戦後

ドル円で借金を作った人のその後の人生を追います

バイト採用!!

本業が忙しく前回からだいぶ日が経ってしまった。


週末バイトの面接にいった。

Wワークを推進している会社らしく、週に何度入れるか、どのくらいの期間働きたいか、連休は入れるかなど簡単な質問であっさり採用が決まってしまった。

学生の頃のバイト先は志望動機や趣味など聞かれたため拍子抜けだった。

引越し準備があるから少しの間は週1、それからは土日、連休と答えただけだった。

バイクを用いた配達の仕事だ。


翌日からもう働けるとのことで、基本的な規則、仕事内容の説明を受け、OJTを行いながら仕事をはじめた。

覚えることはたくさんあるが、皆気さくで質問もしやすく、いい職場だと感じた。

Wワークの理由も特に聞かれず、程よい距離感なのがまたよかった。


採用してくれた責任者の方や色々教えてくれた先輩のためにも早く戦力になりたいと思った。


ここで働いたお金は生活費にして、本業のお給料は全て返済に回す予定だ。

だから苦痛な仕事は耐えられないと思った。

バイクに乗るのは1番の趣味だし、普段の業務とは全然違う仕事なのでたのしかった。

人もいい方が多くここでなら頑張れそうだ。


今週もバイトが楽しみだ。


さでドル円は129.5を突破し130円が目前だ。

今になって円安への言及がポツポツ出てきはじめたがもう手遅れだろう。

見方によれば150円も射程圏内だ。

そう考えれば今の損失で良かったのだろう。


引き落とし日が近付いているので金策にも走らなければならない。

とりあえずのお金を集められるのだろうか。


踏ん張りどころである。

愛バイクとのお別れ1

現在6台所有しているバイク達。

1台1台にそれぞれのストーリーがある。


早くもこのうち2台の譲渡先が決まった。

バイクは人では無いが、私の元1つに集い、そして今離散しようとしているこの状況はさながら没落した武家にもにていると他人事のように思う。


1台はバイクと出会ってしばらく経ってから始めたオンロードレースに使っていたバイク、もう1台はさらにその後オフに連れて行ってもらった時知り合った先輩から譲り受けたバイクだ。


オンの方は苦楽を共にし、私がバイクの技術を上達させるのに多大な貢献をしてくれた。

オフの方はじゃじゃ馬だったが一緒に崖を登ったり川を渡ったり、私に新たな道を教えてくれた。


どちらも手放すのは惜しいが致し方ない。

娘を遠方に預ける様な、彼女と別れる様な、そんな辛さに似ている。


幸い知人に乗ってもらえるのが救いだ。


私はこれから何度も何かをこうやって諦めなければならないのだろう。


諦めに慣れず、せめて本当に大切なものは見失わずこの手に持っておきたい。


さて、ドル円は本日126.3円を超え、その勢いは止まることを知らない様に見える。

今後さらに円安が進むのであれば私や日本にとって厳しい時代がくるかもしれない。


この国の行く末を憂う。

アパート撤退と家族の温もり

週末アパートの解約に行った。

3年ちょっと住んだ家ともお別れだ。


間取りは少し個性的だったけど広くて気に行っていた。


同棲を始めるまではこの家に住んでいるのかな、あわよくばこの家で同棲することもできるかななんて思っていたけどなんと呆気ない・・・


合わせて駐車場も解約だ。

周辺の相場に対して半額以下の月極駐車場だったが、今は少しでもお金を浮かせなければならない。

やむなしだ。


解約の言い訳を色々考えたけど、非常に簡単なやりとりだけで退去が決まった。


これを全て借金返済に回せば一年で100万円程度は浮く、それでも100万円だ。

全然足りないなぁ。


途方もない返済の道に再び鬱気味になった。


アパートを解約した足で実家に寄った。

戻っていいか聞くためだ。


なかなか言い出せなかった。

理由を聞かれるだろうし、心配させてしまうかもしれない。

もしかしたら少し迷惑かもしれないとも思った。


でも彼女の家に転がり込むのも違うと思い、当たり障りの無い話を一通り終え、切り出した。


ドル円ヤバかったんだーと。

為替をやっていることは共有していたので、125円いったよねと少し話が盛り上がったところで、ロスカットしたことを打ち明けた。


えー125円いった日に見事討ち死にしました。と伝えた。

え、ロスカット?と聞かれたのでそうだと答えた。

借金については言えなかったけど、貯金は全部無くなってしまったと打ち明けた。


親も少し現物買いや株をやっていたことがあるらしく、そういうもんだよねー、現物買いなら塩付けられたのにねーみたいな話で少し盛り上がった。

盛り上がりは少しだったけど、なんとなくたくさん元気を貰えた。


打ち明けて、それを否定ではなく肯定してもらえることの嬉しさを痛感した。


和やかな雰囲気だったので、近々結婚を考えていて、お金を貯めたいので実家に戻っていいか聞いた。

すると意外にも快諾してくれた。


なんだかんだ子供と暮らすのは親としても嬉しいのだろうか。


戻る段取りなどを決め、ご飯を食べた。

覚えても無い普通の会話だったけど、家族は味方でいてくれるし、愛されているんだと感じた。

死のうとしてたことが申し訳なくなった。

帰り道、キラキラ流れ去る光を見ながらヘルメットのなかで少し泣いた。


ただただ頑張ろうと思った。


もし借金で苦しんでいるなら、少しでも親と話して欲しい。

勇気と元気をもらえる。

ちゃんとがんばろうと思える。


親に甘えているだけではどうしようも無いので持ってるバイクは必要な物を残して売却し、土日などはバイトをしようと思った。


色々求人をみて応募してみた。

週末は面接にいってみる。

学生以来のバイトで少し緊張する。

敗戦と復興への一歩

2022.3.28 この日ドル円は約6年半ぶりの高値を更新し1ドル125.11円を記録した。

1人の男がまさに膝から崩れ落ちる事など気にするそぶりも見せずに。


今後このような失敗を繰り返さないような反面教師として、同じく相場に敗北し泥水を啜っている同志達の支えの一助になれるように、新しく散った武士達への道標として、そしてもし私が命を断ったとき生きて足掻いていたことを残すために何か残そうと思い立った。

 

これを残すことで誰かの助けになれば幸いである。


私は現在20代後半、独身彼女ありのサラリーマンだ。

趣味は旅行とバイクで特にバイクはナンバーなし含めて6台所有している。

他に半年前に購入した車を1台所有している。

実家から1時間程度、会社まで15分程度のところで一人暮らしをしている。


相場との出会いは2年前、丁度新型コロナウイルスが蔓延し始め、112円に急騰、そこから101円まで急落した後再び111.5円と乱高下し少し落ち着いたあとだった。

当時現物買いで為替をやろうとしていた私に、信用取引、所謂FXとEA、自動売買ソフトを教えてくれた先輩がいた。

スマートフォンを職場に持ち込めない今の会社で勤める私に自動売買は大変魅力的だった。

リスクを一通り勉強した後、物は試しにと10万円を原資に動かし始めたところ、毎日コツコツ数百円〜2,000円程度増えていき満足していた。

使っていたEAはナンピンマーチン法という手法で、相場に対し逆張りしていくものである。

ドル円で例えれば110から109、108円と落ちて行くにつれ買い注文を入れていき、少し上がって利益が出た時に決済するというものである。

資金は順調に2倍、3倍と増えていき、それに伴って取引する量、lotも増えていった。

このナンピンマーチン法、そしてlotを増やしたことが敗北の主原因であった。


ドル円は上下を繰り返しながら下落の一途を辿りコロナショック以来の102.6円目前に迫っていた。

そして2021.1.6を境にドル円相場は大きな転換を迎える。

下落から一点上昇に転じたのである。

日足レベルでの大きな押し目も無く、丸一年後の2022.1.6には116.2目前と14円も上昇していたのである。

押し目が小さいので含み益にならないから、売り注文だけがどんどん重なっていく。

含み損も膨れ上がる。

さらに3月に入り米金利の引き上げが発表されると急騰、28日には125円を超えた。

この時の含み損は約800万円。

いつか下がる、ここが天井だと言い聞かせて資金を投入し続けた。

3月に入ってからはクレカでの資金投入をしてしまった。完全に判断力を失っていたのである。これも大きな過ちである。

冷静に判断しなければならない相場で、下がるための材料を探し、118円をつけたら大きく押す、120円をつけたらトレンドが変わると信じた。

週足のレジスタンスがある、前回高値は越えられないと盲信した。


その結果は強制ロスカットだった。


貯金は全て入金してしまい、クレカによる入金も上限の300万円まで達して尚下がる気配を見せない相場に対し、それでも114.5円までは耐えられるからと出社した私は気が気でなかったものの、本職も忙しく相場を見ることができなかった。

いや、例え見ることができてももう打つ手はないのである。


20時ごろ、退社して相場を確認した。

ロスカットされていた。

これまでにない動悸がした。

スマートフォンを持つ手が震えた。

そして膝から崩れ落ちた。

800万円を失ったのである。

このうち150万円程度は利益であったから、正確には650万円を失った。

目の前が真っ暗になった。


さらに間の悪いことに、リスク分散とし為替の前に行っていたマンション投資が年明けに躓き、毎月アパートの家賃と投資マンションの家賃を払わなければならないのであった。


正直死のうと思った。


死ねば楽になると思った。

マンションの借金は無くなるし、生命保険もあるから借金はなくなり親にも残せるものがある。そしたら楽になるし誰にも迷惑をかけない。


けど死ねなかった。怖くなった。

親が絶対悲しむ、職場にも迷惑がかかる、彼女にもトラウマができてしまうかもしれない。


だから生きる手段を探した。

自己破産を調べた。

FXで対象になるケースは稀であり、働けないなどよっぽどの理由がないと難しいらしい。

それにお金を借りたのに返さないというのは、自己破産が認められたとしても今後おひさまの下を歩けないと思った。


やはりコツコツ返すしかない。

幸い職にもついており固定の収入もある。

健康な体もある。


この二週間は頑張って生きて返そうという躁状態と、無理だから死のうという鬱状態がランダム交互にやってきて酷く眠れない日々が続いた。

でも何もしなければ借金は減らない。

二週間経ってようやく覚悟ができた。


その一歩をここに書き残そうと思う。

そうやって一歩ずつ進めて借金を返して、それが終わったらこれからは現物買いによる取引で少ないけどコツコツ稼ごうと思う。


まずは通勤時間は増えるものの家賃を浮かせるため実家に戻ろうと思う。

通勤時間は増えるが致し方ない。


明日は不動産屋に行ってこようと思う。