ドル円FX敗残兵の戦後

ドル円で借金を作った人のその後の人生を追います

アパート撤退と家族の温もり

週末アパートの解約に行った。

3年ちょっと住んだ家ともお別れだ。


間取りは少し個性的だったけど広くて気に行っていた。


同棲を始めるまではこの家に住んでいるのかな、あわよくばこの家で同棲することもできるかななんて思っていたけどなんと呆気ない・・・


合わせて駐車場も解約だ。

周辺の相場に対して半額以下の月極駐車場だったが、今は少しでもお金を浮かせなければならない。

やむなしだ。


解約の言い訳を色々考えたけど、非常に簡単なやりとりだけで退去が決まった。


これを全て借金返済に回せば一年で100万円程度は浮く、それでも100万円だ。

全然足りないなぁ。


途方もない返済の道に再び鬱気味になった。


アパートを解約した足で実家に寄った。

戻っていいか聞くためだ。


なかなか言い出せなかった。

理由を聞かれるだろうし、心配させてしまうかもしれない。

もしかしたら少し迷惑かもしれないとも思った。


でも彼女の家に転がり込むのも違うと思い、当たり障りの無い話を一通り終え、切り出した。


ドル円ヤバかったんだーと。

為替をやっていることは共有していたので、125円いったよねと少し話が盛り上がったところで、ロスカットしたことを打ち明けた。


えー125円いった日に見事討ち死にしました。と伝えた。

え、ロスカット?と聞かれたのでそうだと答えた。

借金については言えなかったけど、貯金は全部無くなってしまったと打ち明けた。


親も少し現物買いや株をやっていたことがあるらしく、そういうもんだよねー、現物買いなら塩付けられたのにねーみたいな話で少し盛り上がった。

盛り上がりは少しだったけど、なんとなくたくさん元気を貰えた。


打ち明けて、それを否定ではなく肯定してもらえることの嬉しさを痛感した。


和やかな雰囲気だったので、近々結婚を考えていて、お金を貯めたいので実家に戻っていいか聞いた。

すると意外にも快諾してくれた。


なんだかんだ子供と暮らすのは親としても嬉しいのだろうか。


戻る段取りなどを決め、ご飯を食べた。

覚えても無い普通の会話だったけど、家族は味方でいてくれるし、愛されているんだと感じた。

死のうとしてたことが申し訳なくなった。

帰り道、キラキラ流れ去る光を見ながらヘルメットのなかで少し泣いた。


ただただ頑張ろうと思った。


もし借金で苦しんでいるなら、少しでも親と話して欲しい。

勇気と元気をもらえる。

ちゃんとがんばろうと思える。


親に甘えているだけではどうしようも無いので持ってるバイクは必要な物を残して売却し、土日などはバイトをしようと思った。


色々求人をみて応募してみた。

週末は面接にいってみる。

学生以来のバイトで少し緊張する。